加古川城

別名− 付近住所 加古川市加古川町本町313 現在 称名寺
案内板アリ 日本城郭大系


糟谷氏 城主は糟谷助右衛門(内膳とも云)で別所長治の幕下であった。天正5年に羽柴藤吉郎秀吉が当城へきた時、はじめて糟谷の館に入って休息し、当地方の城主のことを詳しく尋ねた。その後、書写山に移ったが糟谷助右衛門は、それ以来、秀吉につき従って小姓頭となった。後年、各所に転戦し賤ヶ嶽一番槍に武名を挙げたという。
(播磨鑑)
加古川城 五十間(約90m)四方
雁南庄加古川村
村より一丁(約
110m)西の方とあり、称名寺の附近一帯が加古川城址である。
石幢

当寺の内庭に六角石幢がある。
凝灰岩(竜山石)製で、室町時代初期に造られたものと思われる。
幢身高さ 66cm 径 27×18.5cm
出門前の碑の台石に家型石棺の蓋が使用されている。長さ 131cm 幅 73cm 厚さ 27cm